ミュウツーの逆襲リメイク考察。フラケンシュタインの怪物はメリープの夢を見、アマデウスに嫉妬する?
ミュウツーの逆襲 EVリメイクレビュー。
劇場での様子。主観。
大人は涙
劇場で、
ミュウツーの逆襲の
リメイクを鑑賞してきました。
個人的には、
とてもよい作品に思えました。
ポケモン達のCG描写も
思ったより可愛く、
感動的な場面では
観客席からすすり泣きも
聴こえてきました。
子供は
少し恐怖?
少し怖がっている子も
いました。
それ程ミュウツーの
壊さ、迫力、破壊力が
表現されていたとも
とれます。
子供達と楽しむ映画としては、
おススメです。
ポケモンガオーレ の
ミュウツーも頂けました。
※※※ネタバレあり
まだ見てない方で
これから見る予定のある方は
ご注意下さい!!
個人的に
気になった
キャラクターや
テーマについて
記したいと思います。
ミュウツーという存在
遺伝子操作で生み出された
ミュウのコピーという存在。
生まれた時から
ガラス張りのカプセルに
入れられ、
のちに拘束具をつけられ、
それを破壊したのちにも
存在理由、コピーか本物か
といった考えに拘束され続けている。
ミュウツーのテーマは
拘束である。
この拘束を解放することが
物語のテーマでもある。
意思がはっきりしており、
自らの存在理由に悩む。
・自分とは何ものか。
・ミュウという存在が
本物とされている。
・では自分は偽物か?
・世界が自分を偽物とみなすなら、
自分はそんか世界に逆襲してやる。
というある種
反抗期的な側面もある。
ブレードランナーの
ロイバッティは
創造者がはっきりしているので、
創造者に直接文句を言いに行くが、
ミュウツーの場合、
いきなり創造者を攻撃するところから
話が展開するので、
攻撃の対象が世界に向かう。
哲学的ではあるが、
ある種、
存在理由に悩むという
思春期的な幼いキャラとも
言える。
カイロ・レンや
上記のロイ・バッティ。
ファイナルファンタジーナインの
クジャも同じような
パーソナリティと言える。
ミュウという存在
天然由来。
自然の象徴。と私は見る。
特別なポケモンである。
無邪気。
無邪気故に、
技を使わずに
バチバチに肉弾戦やろう。
と提案するところなどは
残酷さも兼ね備えている
ように私は思えた。
ポケモンとコピー達の
いたたまれない戦いは
ミュウツーの発案ではあるが、
残酷性をブレンドしたのは
ミュウが仕向けたようにも
とれる。
自然の容赦なさの
象徴ともとれるかもしれない。
テーマは全然違うが、
天然由来の天才性という
意味においては
アマデウスの
サリエリが
ミュウツーとすれば
ミュウはモーツァルトである。
と私は見ている。
ピカチュウという存在
ミュウツーのテーマが
拘束。であるなら、
ピカチュウは 自由の象徴である。
モンスターボールという
拘束の象徴に入ることを
拒否した存在だからだ。
(ミュウツーの逆襲に
このエピソードは出てこない)
ミュウツーに
ピカチュウが立ち向かうという
構図はその意味で説得力がある。
ピカチュウは
自由の身であり、
なおかつ、
サトシとともに
いることを選んだ
ポケモンと人間の
無償の友情の象徴である。
サトシという存在
ポケモンへの
無償の愛。
それがサトシの
パーソナリティである。
キミに決めた。
という映画でも、
象徴的な死と復活を遂げる。
ピカチュウはサトシの
象徴的な絶命の間、
涙しながら
自らの出来ること
電気ショックを繰り返す
わけだが、このシーンでは
劇場内は すすり泣きが
そこかしこで響いていた。
ゼニガメ
可愛くCGで
再現されていた。主観。
ヤンチャボーズと
いったキャラクターに
感じた。可愛い。
ヒトデマンとの
海のシーンは必見。
フシギダネ
こちらも可愛い。主観。
ゼニガメもうそうだが、
バトルの後にサトシに
ハグしに行くシーンは
可愛すぎた。
リザードン
ケンカっぱやい
パーソナリティが
よく現れている。
ムサシ
コジロウ
ニャース
道化の役割。
故に一番
核に近かったりもする。
ポケモン達がコピーされ、
生み出される現場や
ミュウというマボロシの
ポケモンにも遭遇出来るのは、
彼らのある種、逸脱した
存在故にともとれる。
独特のメカを使用するのは、
ヤッターマンにおける
ドロンジョ達3人組や、
バイキンマンのような
伝統的なコミカル悪役の
流れを組むとも言える。
今回のリメイク ミュウツーでも
道化としての役割は
いかんなく発揮されており、
ニャース&コピーニャースの
決闘から逸脱し、
月について語る場面などは
一番物事を俯瞰しているとも
とれる。
まとめ、
ミュウツーとは
フランケンシュタインの
怪物である。
それは
幼さと強力な力を
兼ね備えた存在。
ミュウが制御出来ない
自然なら、
ミュウツーは
コントロール出来ない
原子力のような存在。
または、ザ・ボーイズで
Aトレインが苦しんだ
薬物の象徴でもあり、
プロセスは問題ではなく、
命は命である。という
命の象徴でもある。
ロミオとジュリエットと
サトシ
不毛な戦いに
決着をつけるのは、
純粋な心と犠牲である。
ミュウツーの逆襲リメイク。
是非鑑賞して
頂きたい映画です。